全部がここにあるんだ、なにもしなくても



前回はこちら▶️


作詞もそうですが、

物事の核心を描くために大切なのは

ディテールの細やかさだったりします。


Facebookや様々な媒体を通じて、最近、占いやメンタリスト(ヨガなど)系の方の

スピリチュアルな投稿を拝見する機会が増えてきました。


本質的なものを伝えるためには抽象的に書くしかないことは大前提の上で、

それでも読んでみようかなという気になれるのは

「自分自身の苦しみの実体験から、その核心を腑に落とした人の言葉」

です。



ディテールの伴わない本質は、

村山由佳さんが言うところの「つるつるとした物語」のような気がします。表面だけ綺麗な感じというか。

「ざらざらとした物語」が、どうやら私も好きなようです。



それを書くためには自分をさらけ出さないといけないわけなのですが。




【ガラスケースに入れられた命】


日本にいるときは、命をガラスのケースに入れて歩いている感覚なんだけど、
韓国では目の前に命があって、
自分が生きている、私の中で命が燃えているというのをふつふつと感じる。(p116)


韓国に行ったことがないので分かりませんが(ここで国の話は持ち出したくありません)、

命をガラスケースに入れて

という表現が妙にしっくりきました。


ちょっとやそっとじゃ壊れやしないはずなのに、壊れ物として扱う。

周りに触れさせないようにする。

そのくせ、触れてほしいと衝動的に思ったりしてしまうというか。



【泳ぐように】


楽しいから生きていようとはもともと思っていない。
ただ体が、本能が生きていようというから、ひたすらに生きているだけだった。


それでも、こんなふうに美しい夕方にのんびりとあたたかい空気に包まれているとき、快を感じる。

寄せてはかえす波のように快と不快がやってきては去っていく。



家にいたい時期の次は、外に出たい時が必ず来る。

そのくりかえしは波と同じで、いつまで眺めていてもそのさなかに泳いでいても、

全く飽きることはない。 



それが生きていることの唯一の喜びだ。(p152)


いつも思うけれど、どれだけの絶望の果てに吉本ばななさんはこの文章を紡いでいるのだろう。


たくさんの素敵な作品を送り出してくれていることに、感謝の念を禁じ得ません。






吉本ばなな『どんぐり姉妹』

新潮文庫2013年8月1日初版


写真提供 https://www.pakutaso.com





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