私だけのキャンディ③魂を養う液体
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甘い恋の始まりの描写が、とても詩的なんです。
プロセッコというお酒を飲んでみたくなりました。
私は今でも、プロセッコという食前酒を飲むと、あの頃彼といつも待ち合わせた小さいエノテカを思い出して、涙が出そうになる。
シャンパンでは決してよみがえってこない。プロセッコの荒い甘さだけが、全てをぐいっと引き戻す力を持っている。
私だけに、意図せず訪れる小さな魔法だった。
恋人たちには、たくさんの食事はいらなかった。恋で胸がいっぱいで、それどころではなかったのだ。
早くあの部屋の客間の小さいベッドに、ひとつのシーツに横たわりたくて、気持ちはあせっているのだが、待ち合わせをしてまだふたりの気持ちはぴったりとなじんでいなかったので、いつでも私たちはそこで立ったままの席で、食前酒とちょっとしたおつまみを頼んだ。
詰め物をしたオリーブ、小さいブルスケッタ、ペコリーノチーズにハチミツ。プロセッコは透明なグラスに注がれ、私たちの沈黙を飾った。
待ちきれない夜のためにある飲みもの。
魂を養う液体だった。
(p176-177)
ここに出てくる「元恋人で不倫相手の彼」に少しだけ似ている人を、私は身近に知っていて。
その人は、私の中でサイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」そのもののイメージなのです。
彼独特の静かで頼れる感じが空間に広がっていた。一歩深く入ると鬱状態に近いほどの、静けさ。暗さ。
しかしそれは私をいつでも落ち着かせた。
イタリアで教会や美術館にいるとき、そこにある作品群のあまりのすごさに目の前が真っ暗になることがある。
人間の深みにさらされすぎて、格の高い真の孤独と向き合わざるをえないことになるときがある。
彼はそういうものによく似ていた。
彼がいるところでしか味わえない、濃い青空のような落ち着いた匂いを私は思いきり吸い込んだ。
忘れないように、どこかにとどめておけるように。(p178)
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吉本ばなな『チエちゃんと私』
文春文庫 2009年4月10日初版
写真提供(2枚目) @ahomichi
https://instagram.com/ahomichi?igshid=is083zio9p6y
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