タブーはない
普段テレビを全くつけないので、その訃報ももちろん知らなくて。
昨日、友人からの連絡で、そのことを知って。
そのあと電車の電光掲示板のニュースでも目にしたし、Twitterは著名人、一般の人問わずたくさん、たくさん書いているし。
そこから私なりに考えてしまって、そしていま、森山直太朗さんの曲を生まれて初めて真剣に聴いています。
生きてることが辛いなら(2008年)
「生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが
三日と経てば元通り」
活動休止を経てリリースした曲がこの「生きてることが辛いなら」だったそうです。
またその期間に3ヶ月間、山に籠って「寂しさの向こうには宇宙がある」ことを見つけたと言います。
その言葉が、後半の歌詞
「何もないとこから
何もないとこへと
何もなかったかのように
巡る生命だから
生きてることが辛いなら
嫌になるまで生きるがいい
歴史は小さなブランコで
宇宙は小さな水飲み場」
にカタチを変えて芽吹いていると思ったのです。
この曲は自殺を唆すためでも、命を軽視するものでもなく、ただ、ただ、
生きていることの辛さ
生きていくことの辛さ
を、ただ、ただ、その時の森山直太朗さんの言葉と、感覚と、感性と、身体と、そして声を使って伝えています。
その上で「生きろ」と伝えてくれているのだと思います。
もののけ姫のキャッチコピーのように。
アンパンマンのマーチのように。
作詞にタブーはありません。使ってはいけない言葉は無いのです。
扱ってはいけないテーマもない。
うんこ (2010年)
「さっきまで体の中にいたのに
出てきた途端
いきなり嫌われるなんて
やっぱりお前はうんこだな」
有名な解釈で、これは腹を痛めて産んだ子どもを虐待する親のことを描いた歌詞だというものがありました。
最後の「お前」というのは、
親に愛されない子ども自身が自分に向かって「お前は価値のない子どもなんだ」と言い聞かせているようにも、
親自身が自分に「子どもをまともに愛せない自分は排泄物以下だ」と自虐的に言っているようにも聞こえます。
まるでカエルの子はカエルというような。
命を軽んじるのとはまったく逆の意味で、
私はいま、ひとの命をそこまで特別扱いしていません。できなくなってしまいました。
たとえば今日外を歩いて踏み潰した小さな虫の命について、考えたことがありますか?
知らず知らずのうちに蟻やいろんな小さな虫を、きっと足で踏んでいます。
食べること以外でも、無自覚に命を奪って生きています。
そのことにいちいち想いを馳せますか?
罪悪感で胸が押しつぶされそうになる?
ならないんです。
だから、その逆のことーたとえば今日エイリアンが地球を侵略しにやってきて、あるいは大きな怪獣が現れて蟻んこみたいに私たちを踏み潰したとしてもー文句は言えないよな、って。
単純にそう思うだけなのです。
いいとか悪いとか、そういうお話ではなく。
ただ、ただ、そう思います。
命の重みは、たしかにあります。
でも虫の命よりひとの命の方が特別扱いされる価値があるのだと、いまの私は思えないのです。
私にできることは、前後裁断して、
いちにち、いちにちを精一杯、幸せに、自分が楽しく、あるいは周りの人を楽しませて、それによってさらに自分が嬉しくなる、
そういう明るさの相乗効果の中で生きていくこと、それだけなのです。
最後にもう一度書きます。
命を軽んじているわけではありません。
写真提供 https://www.pakutaso.com
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