訃報と電子レンジと電車のなかの目線について
最近びっくりしたこと。
急に寒くなったこと(だけど湿気もあるので踊っているとサウナ状態の汗をかきます。だーっと)。
そして田村正和さんと『ベルセルク』の作者・三浦建太郎さんが亡くなられたこと。
古畑任三郎だいすきでした。ベルセルクはたしか完結していなかったはず。とても残念です。
ご冥福をお祈りしています。
またまたテレビやニュース(ネットニュース含む)から自分が離れていたことに気づかされました。
その分、お家のひとがニュースに敏感なので色々教えてくれるのですが。
ひとの訃報のあとにはどんな話も書きづらいのですが、今朝食器を洗いながら、電子レンジの便利さと電車のなかのひとびとの目線について考えていました。
レンチンはほんとうに便利です。重宝しています。
でも一時期、電磁波で頭の中までレンチンされてしまうぞ、危ないぞ、と世間か小説が言っていた記憶があります。
携帯も同じく危ないぞ、と。電子レンジ人間になってしまうぞ。
危ないとわかっていても便利さゆえに使い続けてしまうのが現代人なんだよなぁ…。
そこから携帯に思考がうつります。
たとえば電車。
車両を見渡しても携帯を使っていないひとはほぼいないわけなのですが、真剣に音楽を聴くとき、わたしはイヤホンをつけiPhoneを閉じて正面に顔を向け、やや目線を左上にずらしてじっとかたまります。
そうすると、目の前のひとが「ん?」という顔でこちらを見てきます。
今どきはみな携帯片手にうつむくので、顔をあげているひとがいると本能的に違和感を覚えて確認したくなるのだと思います。
立っていても座っていても同じですが、とくに座っているときに向かいの席のひとが「なに見てんのよ」的なニュアンスで(わたしの受け取り方です)こちらを見返してくる気がします。
いえいえ、ちがうのです。別にあなたのことは見ていません。
ただ顔をふつうにあげているだけなのです。
と心のなかでつぶやきつつ、ここで目線を伏せるとほんとうにそのひとを見ていると取られてしまうのであえてあげ続ける、その時点で音楽への集中がいったん途切れてしまっているわけなのですが。
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